作成日: 10/03/13
修正日: 20/01/07
被害の救済とリスクの表現方法
日常生活でリスク係数はどのような役に立つのだろうか?
放射線のリスク評価の論文
もとの論文が気になるとこだね。
放射線診療のリスクコミュニケーションのサイトに記事があるから読んでみたら。
そのサイトは坪野先生のまねしているみたいな記述だね。
疫学研究をきちんと考えるのは大切なことだと思うわ。
被害救済の公平性
加藤先生は被害救済の公平性を訴えられているけど、公平であるってどういうことなのかな。
公平性を重んじるのは、功利主義的な立場ね。
本人がどう思うかの主観性を重んじるか、
周囲が見てどう思うかの客観性を重んじるかでも異なるけど。
加藤先生は客観的功利主義の立場みたいだね。
時間軸の公平性を重んじるのは時間の割引率を考えているのかもしれないけど、
もっと詳しい記事が読みたいわ。
公平な救済ってどう考えればよいのかな?
被害の大きさには主観性もあるから、他人が客観的に事業仕分けすれば済むというお話しではなくて、
当事者が客観的な情報を吟味して、自らで仕分けするプロセスが必要ではないかしら。
本当のところどうなっているのかを率直に報道することが必要そうだね。
リスクの表現法
リスク係数の表現法はどうかな?
そもそもリスク係数の定義って何?
この説明はどうかしら。
加藤先生によると、「単位時間に生命を失う確率の、要因単位量当たりの、増加」だそうです。
まさにハザード関数的アプローチだな。
人間は必ず死ぬから、死亡というエンドポイントを考えると何をしてもリスクの大きさは変わらないから、リスク係数を百分率で示してはいけないと主張されているけど、
「増加」をどう表現するかにもよるのじゃないかしら。
「上記の記事に在るような書き方をすれば、20グレイの放射線被曝を受ければ心筋梗塞で2.8回死亡し」とあるけど、この計算は合っているのかな。
論文では、心疾患で過剰相対リスクは1Gyあたり14%(95%C.I. 6% to 23%)とあるから(加藤先生は過剰相対リスクを14%ではなく0.14と表現すべきと主張されている)、14%/Gy×20Gy=280%になる。
280%だから2.8回死亡すると言うこと?
過剰相対リスクは、非曝露でのある期間のイベント発生率を1として、それとの比から1を引いたものだから、2.8回死亡することを意味しているわけではない。
相対リスクはリスクを比で示しているから、「「2.8回死ぬことになります」などといわれたような気になる」と思われていることがよく理解できないわ。
そもそも、全身均等に20Gyでの曝露での発がんリスクをリスク係数で計算する臨床医はいないと思うけど。
それに臨床医は曝露年齢も考慮しているものだけど。
ということは限界も考慮しているということね。
完璧な方法はないというのは誰もが理解できることじゃないかな。
加藤先生は低線量でのリスクの表現法もよくないとされているけど、
相対リスクだけではなく、寄与リスクを百分率を示す(=寄与危険割合)ことに本質的な問題があるのかしら?
「百分率や千分率というのは、ある量の全体(総量)を1としたときの内訳を“割合”で示したもの、示すもの、です。 人(に限らずあらゆる生物)は、“必ず死ぬ”ものであり、しかも“死ぬのは1回だけ”と決まっています。リスクをパーセントやパーミルで表示されると、例えば、これまで死ぬのは1回と決められていたのに、「1.3回死ぬことになります」などといわれたような気になるので“気になる”のです。」だそうです。
そもそも、寄与危険割合が100%を超えることはないので、何だか話が合わないわ。
過剰相対リスクは100%を超えても、二度以上死亡することを意味しているわけではなく、寄与危険割合は100%を超えることはないということだけど、要は過剰相対リスクをパーセントで表記すべきではないという主張であるようです。
数字の意味合いをよく考えようということね。
イベントとして死亡以外を考えると言うことは、寿命短縮やQOLの低下を計測することになるから、
それはICRPのアプローチとの方向性と一致しそうだ。
「誤った使い方を避けるための工夫が望まれる」のが具体的にどのような工夫を意味しているのかを知りたいわ。
より深めた話を聞きたい方は、放射線安全フォーラムの第13回放射線防護研究会 「安全と安心」に参加されるとよいかもしれない。(※ 2010年4月17日に開催されました。)
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